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IT系技術職のおっさんがIT技術とかライブとか日常とか雑多に語るブログです。* 本ブログに書かれている内容は個人の意見・感想であり、特定の組織に属するものではありません。/All opinions are my own.*

最近のこと202004某日

最近のことなど(新型コロナ騒動特別増刊号)


 

新型コロナ騒動・ライブ編

1月7日のナッシングスを最後に、3月末日時点で81日間連続でライブに行ってないことになる。
国の緊急事態宣言が最低でも5月6日まで続くので、この調子だと4月は勿論ライブ0だし、よしんば5月6日できれいに緊急事態宣言が解除されたとしても、余波で5月中もライブ開催は考えられないだろう。
となると4月の30日間と5月の31日間で合計142日間、約半年もライブ行かないことになるのだ。
もともとライブにガンガンいくほうの人ではないが、それでも、特にここ2~3年は、月平均で1~3回くらいはライブ行ってたので、約半年間もライブナシというのは考えられない状況である。

これ書いてるのは4月上旬の某日だが、個人的には、ライブの自粛は残念ながらもっと長引くと思っている。
ライブではないが、隅田川花火大会や、青森のねぶた祭などの夏の大型イベントがすでに中止を発表している。
実際、シンガポールなどの高温多湿の環境下でもウィルスの活動が弱まらないというレポートもあるし、またアメリカの専門家から「フェスの再開は早くて2021年の秋」という見解が示されたりもしている。
そういった点を踏まえても、おそらく、少なくとも今年の夏フェスはどれも絶望的だろうし、やはり仮にうまく夏ごろに収束できた見通しがたったとしても、余波の影響で年内はもう全部が厳しいのではないだろうか…
万が一、どこかで収束の傾向が見え、世間から非難されないような世論が形成されていれば、開催されることもあろうが、様々な周辺事情を考えると非常に厳しい気がしている(仮に開催されたとしても心置きなく参戦できるか怪しいものだ)。
個人的には、上述した通り、少なくとも8月いっぱいまでのライブは無理だろうな、と思ってもう覚悟を決めており、また、その時点(7月~8月のあたり)の状況次第だが、その影響と余波により、今年の秋や冬についても展望が非常に危ういと思っている。
以上から、「今年は、ライブ・フェスはもう全部開催されません」というのを基本原則として心に根付かせておいたほうが気が楽、という結論に至った。

そう考えると非常に残念だなと思うのが、テナマニ2(5月29日)である。
こればかりは我が家に設けられた「年に1回の遠征権」を使ってでも行こうと思ってたライブなので、(現時点で中止が発表されているわけではないが)やはり残念。
あと、マンウィズの10周年フェスだ。
これは嫁と一緒に行こうと思って画策していて実際もうチケットも取っているのだが、これも行けそうにないなと思うと、俺はもとより嫁が非常に残念そう。
テナマニは正直9割がた諦めてるが(願わくば中止ではなく延期という措置にしてほしいところである)、マンウィズは嫁のためにもなんとかならんかな~と藁にも縋る想いである。

ライブに限った話ではないと思うのだが、こういうエンターテイメントは日々の生活に活力を与えてくれる非常に重要な文化だと思う。
「今週頑張ればテナー!!」とか呟いてる人をちょこちょこ見かけるが、(個人的にはそういう感情が出ることがないので残念ながら共感できないのだが)まあでもそういう感情は理解はできて、実際結構ガチなんだろうなと思う。
イベント自粛の雰囲気が長期化すると、事業や文化の死よりも前に、こうしたファンの心の死が先に訪れる気がして恐ろしい。
そこまでライブに依存している生活を送っている自覚はないが、少なからずこれによるストレスは俺自身もあるはずで、それがどこかで表面化してこないか、爆発しないかと、今ひしひしと恐怖を感じている。

どうでもいいが、この長いライブ自粛ムードの中、次にライブに行くことになったら(いつになるか分からないが)、勝手がわからなくて困惑してしまいそうである。
「はじめてライブに来たおのぼりさん」みたいになりそうで怖い。
まあそれはそれで初々しいから良いのかな。w
しかしほんとうに「いつになるか分からない」のはツライところではあるな。
再開はいつになるのだろうか…

新型コロナ騒動・オリンピック編

新型コロナ騒動が激しさを増すにつれて、そのことを知らないはずのないオリンピックというイベントが、新型コロナ騒動をガン無視してるような(意図的に視界に入れないような)様子で日々開催準備を進めているのに違和感があった。
違和感があったというより、NHKで特別コーナーが設けられていたり等、無理して推し進めている感じがあり、それがKY感満載に見えてしまって、痛々しくて正直見てられなかった。
開催されるに越したことはないんだろうが、個人的にはそれほど関心のあるイベントではなかったので、割と冷めた目で見てしまっている節があり(今もそうだが)、開催準備を進めている人たちをテレビとかで見るたびに、「この状況で開催できると本気で思ってんのかコイツら(苦笑)」というモードだった。
とはいえ、開催準備に携わっていた人たちもそれは内々には感じていたはずで、実態として動いていた彼らも苦しかったんだろうな、とは思う。

加えて、オリンピックの延期が決定したら、割とすぐに次の開催日が決まった旨のニュースが流れたが、これはこれで追加のKY感を感じた。
オリンピックという世界的なイベントすら延期を余儀なくされている危機の最中でやってる場合のことか?という疑問である。 一回「延期」って決定下したんだから今はそれでよくない?という気持ちがあった(まあ世界的なイベントが故調整が必要な部分もあるんだろうが)
その後もオリンピック関連ニュースがちょこちょこ流れてきたが(開催延期に伴う追加の費用はうんたら億円とか)、程度の大小あれど、そのどれもに同じKY感を感じる。
今考えるようなことなのかね、それって…
俺が必要としてないだけでいろいろな側面で情報を欲している人たちはいるのかもしれんね。

そういうのも含めてだが、オリンピック開催延期が決まった直後から、東京の感染者数が爆発的に増えたこととの関連は、誰でも疑ってかかってしまうのは仕方ない部分あるよなとは思う。
個人的には単なる偶然だと信じたいが、オリンピック開催準備が上記の通り(俺が一視聴者として見ている分には)とてつもなくKYにみえたから、そういった疑念を抱かれてしまうのも仕方ない気はする。
小池さんもオリンピック延期決定前まではガチにやる気になっているようにみえたし(だとしたら役者だな)、一方で延期決定後はすぐにコロナ対策本格始動という感じで一転して動きを変えてるように見えて、オリンピック延期決定以前と以後で態度がまるで違うように見えた。
まあ、「延期」という決定が下される前までは、「開催する」というのが決定事項であることは変わりないから、そういう動きになっているのも理解はできるのだが(個人的には単なる偶然だと信じたい、というのはここにつながる)

延期が決定する少し前に、カナダやドイツの競技団体から「このままオリンピックを予定通り開催するつもりなら選手団の派遣を取りやめる」という声明発表があったが、このKY極まりない動きはそれを誘発するための仕掛けだったのかな、と今にして振り返り、邪推してしまう部分がある。
そうした声明もないまま、日本が自発的に「中止or延期する」とIOCに進言してしまうと、開催中止or延期は「日本からの進言により」という名目になってしまうので(まあ経緯がどうあれ最終的には日本がIOCと話し合って開催を延期したのだから実態は同じだろうが)、「世界中の「まともな」人たちから声が上がってるので、延期しましょう」という口実をつくるために待ってたのかな、と。
今となっては真実はわからないし今後も明らかにされることはないだろうが、そんな作戦だったのかなあと思うところが個人的にある。

余談だが、上述したような動きについては(全部個人的な予想の範疇を出ないものだが)、ITプロジェクトでも似たような展開が時折あるので、そういった体験から推測してる部分もある。
以前関わっていた業務システムの刷新プロジェクトで、基幹系のシステムと、フロント系(B2C、B2B)のシステムを並行してリプレースする案件が走っていて、俺はフロント系のプロジェクトメンバーだった。
その業務システムと業務データをやり取りする連携処理の担当をしていたのだが、連携データ(業務システムからフロント系に来るデータ)の品質が想像以上に悪く、「連携テストを進められない」という状況がしばしば続いた。
結局ほとんど満足に連携テストもできていないまま稼働判定会議を迎えるにあたり、「このまま無理やり稼働させられると俺たち(フロント系)が結局割を食って苦労することになる。それは避けたい」というこっち側のプロジェクトの意向から、お客さんに直談判をした。(ただこれはオフィシャルというよりは水面下で働きかけたという色が強いが)
結果、稼働日は延期された…ただしそのときの業務システム側の言い分が「◯◯さん(俺ら)が無理だと言ってますし、こちらとしても満足にテストできていない状況だったので、延期したほうがいいという結論に同意します」といったもので、自分たちに責任はない、あくまでフロント系が白旗を挙げたことがきっかけなんだ、というのを主張しているようにきこえた。
勿論連携テストのデータ品質を担保するにあたり、フロント系視点での業務仕様の詰めが甘かった部分等もあったので、こっちに瑕疵がないとは言わないのだが、それにしたって業務システム側の初歩に近いようなバグが大量に目についた印象だった(例えば、正規の受注データのはずなのに受注金額0円とか、そもそも同一KEYの明細が複数件含まれてたりとか、特定の項目がインタフェース仕様の桁数定義を2倍以上超えてセットされてたりとか、有効期限の開始と終了が逆転してるとか、、、)ので、「なにその俺らが悪いみたいな言い方…」とは思ったのは覚えている。
オリンピックの延期騒動の前に起きた、ドイツやカナダの選手団からの声明発表と、それを受けて延期を決定した(ように見える)日本及びIOCの動きは、これに近いんじゃないのかなあ、と思ったりしたのである。

いずれにしても、この時期にオリンピックの開催国になってしまったことは不運としか言えない気がする。
いや逆か、コロナウィルスの大流行がオリンピックと重なったことをまさに不運と呼ぶのか。
オリンピックの次の開催日程は来年の夏に決まったが、現時点で全く先の見通しが立たない状況が続いており、来年の夏だろうとしても、果たして本当に開催できるのか…
(上述したように個人的には正直あまり関心がないいのだが)無事に開催できることを祈るばかりである。

新型コロナ騒動・仕事編

2月の下旬に政府から「全国一斉休校」の要請が出たことで、平日の日中子供たちを見ておかなければならないため、3月の上旬からは基本的に在宅勤務になった。
打ち合わせとかで出社したほうが都合がいいケースが微妙にあったので何度か出社したが、まさしく片手の指で数えられるほどである(多分4~5回)。
続けて3月の中旬にグローバルの指示で「原則出社禁止」が言い渡され、そもそも「出社」できなくなった。
TwitterのTL見ていた感じでは、タイミングこそ微妙に違えど、外資系IT企業では、同じ方針を取っていた企業は多かったようである。
(外資系IT企業はHQがアメリカ・カリフォルニアにある会社が多く、コロナウィルスはカリフォルニアでは猛威を振るっていた(もはやカリフォルニアどころじゃなくアメリカ全土に広がっているが)
このため本社の判断が世界中の従業員に影響を与えたと考えられる)
見る限り一番早く指示出してたのはRed Hatさんだったかな…(Red Hatの本社はノースカロライナだけど)
ちなみにそれよりもっと前に日本のGMOさんが「全従業員在宅勤務」を指示しており、これはニュースにも大々的に取り上げられていた。

個人的な観察範囲では、3月中旬以降ちょこちょこ自発的にリモートワークに移行し始めた企業が出始めていた感じだが、まだ2~3割といったところで、本格的にリモートワークに入り始めたのは、緊急事態宣言以降のように感じる。(それでも全体の半分かそこらでは、という体感)
しかし、今までは絶対リモートワークなんかしない(できない)だろうなと思っていた純日系企業のお客さん等もリモートワークをやり始めたりしていて、さすがに緊急事態宣言の影響力は強いんだな、と感じてもいる。
ただ、ここ最近で急激にリモートワークに移行し始めた会社さんは、どこもかなり無理やり(半ば強制的に)移行している節があり、現実的に仕事が回せる環境にあるのか怪しい感じがする。
実際、担当しているお客さんが、「会社に行かないと仕事できない」「まずは家で仕事できる環境を整えないと」といったことを言っていて、案件の進捗が非常に芳しくない状況にあるようなことを聞いたし、実際何度かリモートで打ち合わせして会話した様子からも、そういう雰囲気を感じた。
なので、俺がリモートでやってても、お客さんがリモートで仕事できないため、結果的に仕事が進まないケースがある。

そんな状況を見ていると、「もうこんな時世なんだから無理に家から仕事しなくてもいいんじゃないの」という気持ちになってくる。
無理やり家にパソコンだの資料だの持ち帰らされて仕事を継続させることを強制されている人がいると思うと、そうした指示を出しているであろう会社としての方針に対して、「この状況下でそこまでして仕事させたいのかね…」という疑問がわいてくる。
両津勘吉の「勤勉すぎるぞ都会人」のスクショを思い出す。
こんなときくらい無理せずもう休めば…?という気分。(そしたらもれなく俺らも休めるんだから!というのも背景にある)
まあ、経済を止めないためには必要な部分もあるのかもしれんが…

外国の方のアカウントで、「あなたの会社のITトランスフォーメーションを推し進めたのは誰?CEO?→×。CTO?→×。それともCOVID-19?→YES!」みたいなジョークネタがTwitterで出回っていたが、世界的にもこれが同様に起きているんだな、と思うと興味深い。
逆に言えば世界的にもレガシーに「出社する」という文化がまだ根付いているところがあって、それが今回の新型コロナ騒動により半ば強制的に変革させられたのだろう。
なんとなく漠然と、欧米などの国々では、リモートワークの分野が(少なくとも日本に比べれば圧倒的に広く)浸透しているのかなと思っていた部分があったが、こういうジョークに人気が集まる現状を見ると、恐らく世界的にも同じ事情なんだろうなあ。
こんなことを言ってる俺自身も、こんなに長くリモートワークをしていたことはなかったし(やはり「出社する」という生活習慣は根強く身体に染みついている)完全なるリモートワークで仕事を回せているとも思えない。
出来ればこれを機に、俺を含めた社会人の仕事観に、「リモートワーク」という文化が、完全ではないにせよ、少しでも根付けばよいなあ、と願う。

新型コロナ騒動・子供たち編

子供たちは3月の上旬から正直まともに幼稚園や学校に行っていない。
次男の卒園式と入学式、長男の終業式と始業式に加え、一部課題の授受等で登園・登校したりはしたが、数えるほど。
また、卒園式や入学式は「保護者の参加は一人まで」という縛りがあり、俺(父親)は参加できなかった(非常に残念…あとで嫁の撮った動画を見返したが)
早くに「一斉休校」が呼びかけられたこともあり、子供たちへの影響もなかなか大きいものがある。

休校措置に関しては、3月中は「春休みが少し早く来た」くらいでまだ無理やり納得できたが、4月と5月はそうはいかん。(まあ一応緊急事態宣言5月6日までだからそれ以降は学校再開…するのかもしれないけど…)
特に次男は今年から新一年生で、学習の遅れが危惧される。
一方で、俺は家で仕事していないといけないので、付きっきりで子供たちの勉強を見てあげることはできない。
必然的に子供たちは、動画OKゲームOKの無法地帯になり、特に何も言わなければ延々この状態が続いてしまう。
俺自身も日がな一日仕事詰めというわけではないので、空いた時間や、日を決めて午前中だけは勉強の相手をする等の措置をしてきたが、それにしたって、普段学校行ってる日の学習時間に比べれば圧倒的に足りていない。
この状況が長期化することは非常に良くないと思った。
奥さんも同様にこれを危惧しており、相談の上「時間割」を作った。
奥さんが休みの日は、この「時間割」をもとに、何時から何時までは勉強、そのあと何時までは自由時間、等を規定して生活することを心がけるようにしてもらった。
まだ運用数日だが、そこそこうまく機能しているように思う。
俺一人だとこう柔軟には対応できないので、こういうところに奥さんのありがたみを身にしみて感じる。

ところで、学校側も、この長い休み期間中、何もさせないというわけにはいかないようで、一応入学式と始業式の日にそれぞれ「休み中にやる課題」をもらったが、あくまで「課題」や「宿題」の類であり、新しいことを教えるための教材ではない。
長男は新3年生なので、2年生までの復習。
次男は新1年生なので、「文字をなぞる」「迷路を解く」「数字を数える」等ものすごく簡単な課題群。
要するに簡単に解けるものしかない。
このあと4月中旬くらいにもう一度登校日があり、そこで新たな課題をもらってくるらしいが、それまでに対応するのは余裕の分量であり、(というかもうほぼ終わっている)長期休みを過ごしきるには圧倒的に足りない。
なので別冊のドリルを買ってそれをやらせたり、オリジナルの問題を作ってそれを解かせたりしている。
俺自身も以前作ったブラウザベースの問題(乱数使って1~2桁の簡単な足し算・引き算を作って表示させるやつ)を少し改造してやらせてみてもいいかな、と思っていたりしている(準備が整っていないが…)
真面目に、これが長期化するならその辺も考えないとなるまい。
なお、これに関しては、別に学校側に不満があるわけでは全くない。
そもそもこの件で学校に文句言ったところで意味がないし、どちらかというと政府や自治体からくる突然の休校要請にも関わらず、短い期間で何十ページもある課題をよく用意してくれた、という思いである。
ちょうど年度末~新学期の忙しい時期だったので、影響の度合いも大きかったはずだ(例えば成績表とかクラス替えとか…具体的な業務の大変さはわからないが)
今は程度の差こそあれ、どの業種も大変だろうが、今までにない形の苦労を強いられているのだろうなと思うと、学校の先生方には頭が下がる。

また、子供たちのために、平日の午前中の一部時間だけだが、小学校の校庭を開放する試みを実施してくれている。
検温カードと呼ばれる紙に日々の体温を記録した紙を持参し、当日37.5℃以下で、かつマスク着用、当日朝決まった時間に来ない限りは入れない(途中入場は許可されない)、新1年生は保護者は必ず同伴で登校すること・ただし校庭内には保護者は立ち入りできず…等いろいろ条件が厳しいのだが、(個人的に「途中入場できない」がよくわからん。危険回避のための措置かな?)とにかくこうした制度を用意してくれたのはありがたいことである。
基本的に親に似てインドアなのでw、子供たちは何も言わないと日がな一日ずーっと家にこもりっきりだったので、運動不足を危惧していたため、これはなかなかありがたかった。
(それまでも散歩の名目で無理やり外に連れ出したりしていたが目的のない「散歩」はなかなか難しい)
「途中入場できない」の制限のせいであまり活用できていないのだが、今後、利用できる日は利用させていただきたいと思う。

こういう時世になると、改めて自分は周囲に大変助けられているのだなあと思う。
といってもかなり無理して回している状況であることも確か。
そういう意味でも、早く収束してほしいものである。

新型コロナ騒動・肉体編

因果関係がよくわからないが、在宅勤務2~3週間を過ぎたあたりで持病のヘルニアによる坐骨神経痛の痛みが激しさを増した。
今までも痛いときはあったが、ここまで痛くなったのは初めてである。
極端に痛い日があれば、そこまで痛くない日もあり、その法則性がつかめない(今もつかめていない)。
ただ、極端に痛い日でも、ちょっと体を動かす(それこそ家の周辺を少し散歩するだけでもいい)と、痛みが和らぐという法則はつかめた。
このことから、「ここ最近、坐骨神経痛が極端に痛くなったのは、運動不足のせいなんだ」と自分の中で結論付けた。

でも実際結構そういう傾向あるのではないかと思っている。
よくよく考えてみると、新型コロナ騒動以前は、週一で必ずジムに通っていたし、平日は出勤のために基本的に毎日家から最寄りの駅まで往復で20~30分程度歩いていた。
しかしジムが閉鎖されて週一のがっつり運動が消滅し、在宅勤務になったことで駅までの徒歩もなくなった。
実はこれって結構重要だったのでは?と思い返すようになった。
ジムはともかく、普段の何気ない「出勤」の過程で発生していた「体を動かす」という行為、これ自体は別に「運動」ではないと思うが、だとしてもそれすらなくなっているという現状は危惧するべきでは、という思いである。

また、恥ずかしながらここにきてようやく真面目に「坐骨神経痛に効くストレッチ」なんてのを調べだしたりしたのだが、(それまでは全然、痛みがあると言っても耐えられる程度のもので、ストレッチを必要としていなかった)やはりこのストレッチをするだけでも痛みが大分和らぐ。
このとこからも、「やっぱり運動不足が坐骨神経痛を悪化させるのではないか?」という疑念が強くなる。

そもそも在宅勤務=運動不足は割と常識の概念のようで(まあそりゃそうか)、在宅勤務による運動不足は自身の努力で解消させなければならない事項なのだ。
坐骨神経痛でそれを思い知るというのもあまりに皮肉ではあるが、とにかくこの長期化する在宅勤務生活において、「体を動かす」ということを忘れずにいたい(というか忘れると自分自身が痛い目を見る)と心に戒めたのだった。

実は嫁のススメでここ最近テニスを初めており、緊急事態宣言以前はチラチラやってたのだが(初心者なのでドヘタなのだが)、緊急事態宣言でテニスコートも閉鎖され、テニスもできなくなってしまった。
そんな中、新たな運動手段として今考えているのはランニングである。
ランニングシューズ買おうと割とガチで考えている。
それくらいしたほうがいいかもしれない。(そうしないと走らないからね)

新型コロナ騒動・その他編

  • 実はGWに宮古島に家族旅行に行く計画を立てていた。
    計画は去年くらいからしていたし、宿も年末~1月くらいには確保していた。
    その段階でコロナ騒ぎは始まってはいたが、「まあ行けるだろ(そのころには収束してるだろ)」とタカをくくっていた。
    しかし収束どころかどんどん騒ぎが大きくなって、しまいには宮古島観光協会から「来ないでください」とのお願いが。
    緊急事態宣言出た時点でもうあきらめてはいたが、ここまで言われると最早断念せざるを得ない。
    2017年から続く「連続毎年沖縄家族旅行計画」は今年で中断になる…
    非常に残念(俺はもとより嫁さんがとても残念がっていて、どちらかというとそれのほうが悲しい)
    来年はぜひともリベンジ旅行に行きたい。
  • ライブに行かなくなった(行けなくなった)というのが割と大きく影響している気がするが、お金が全然減らなくなった。w
    毎月お小遣い制で回しているのだが、ライブが平均的にある月だと、今までは基本的にひと月でピッタシ使い切っていたのだが、今年は2月のお小遣いを2月―3月の2月かけてようやく使い切った形になる。
    非常に燃費がいい。
    というより普段が使いすぎなのか。。
    お小遣い制になってからはあまり派手に物販買わないようにしていたつもりだったのだが…
    ともあれ、貯金の減り具合が減っていて、これは嬉しい部分かなと思う。
    一方で、引きこもり生活になりがちな分、家からいろいろとネットショッピングをしてしまう機会が増えた。
    店が営業自粛でやっていないから入手手段がネットしかない、というのもあるが。
    今のところ家計を圧迫するほどネットショッピングしてるわけではないが、使いまくらないように注意しないとな、と思っている部分である。
  • 在宅勤務状態になってからは、基本的に家の周囲1.5~2キロ圏内(平たく言えば「家の周り」)くらいしか移動していない。
    ただ、4月の頭(緊急事態宣言が出される前)に不要不急の外出をしたことがある(AWSの資格試験を受験しにテストセンターまで行った)。
    今考えると確かにこのタイミングでなくてもよかったなとは思うが、とにかくこのとき外出した際、10分程度だが電車に乗ったのだが、久しぶりすぎて何か変な感覚があった。
    電車のつり広告とかが最後に見たときと違うので、「違う世界」のような感覚があるんだ、と気づいた。
    そういえば昔インフルエンザとかで1週間くらい休んだだけでも、次の出勤時にちょっとした違和感を覚えた記憶がある。
    直近で電車に乗る機会はなく、恐らく5月中も在宅勤務継続なので、次に通勤で電車乗るのは6月以降なのだが、たかだか数週間程度で久しぶりに電車乗った程度でこの驚きだと、次に電車乗ったときの衝撃は結構すごいものがあるんじゃないか、と思ってしまう。
    これはライブの項でも述べたのと本質的には同じことなのだが…
    コロナが収束して今までの生活が戻ってきたときは、いろいろな意味で「世界が新鮮に見える」だろうな、と思ったのである。
  • 収束時期に関してはいろいろなところでいろいろな意見が出ているが、学術的、政策的なところは専門家に任せるとして、実態はどうあれ、個人的な心境では、今年いっぱいはもうずっとこんな感じだろうな、という覚悟でいる。
    それより前に収束したらラッキー、というくらいの心持でいるべきだと思っている。
    ここまで悪化した情勢において、以前と同じような経済活動はすぐには戻ってこないだろう。
    ライブも学校も仕事も何もかも、良くも悪くも、今までとは一変してしまうという気でいる。
    細かいところから大きなところまで大小様々あると思うが、そうした衝撃的な「変化」に対して、心の準備をしておかないといけないな、という覚悟が必要と思っている。
    例えば「もう学校へは基本的に登校しません、全部リモート授業にします」とか「業績悪化により嫁(パート)は雇えなくなりました」とか、突然そう言われたときに衝撃で固まることなく柔軟に動けるよう、まずは「心」の準備をしておかないとな、と。
    そのときに経済的・物理的に動ける基盤があるかどうかという具体性のある施策も、生活するうえでは勿論重要なのだが、それより前に、「何が来てもビビるな」というか、ドッシリ構えておけ、という気概が必要と思う。
    一応(?)一家の大黒柱だからという考えを持っていて、それの覚悟の表れなのかもしれないが。
    多分今後、思いもしないことがいろいろ起きると思われる。
    一社会人として、今までとは違った種類の覚悟をもって臨まなければいけない時代に来ている気がする。
    もう他人のことを気にしている場合ではないのだ。
    まずは自分と自分の家族を守らなければ。